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インタビュー:みたて農園 立見茂

デザイナーの横山道雄がグラフィックを担当した滋賀県湖北の「みたて農園」。農園を主宰する立見茂さんに、農業のこと、ご自身の農園のこと、デザイナーとの関わりについてお話を伺いました。みたて農園の理念は「おこめのひとまわり」。豊かな自然に恵まれた滋賀県湖北でお聞きしたお話は、立見さんを取り巻くすてきな「ひとまわり」でした。

農業をはじめてどれくらいになりますか。
「みたて農園」という屋号で活動をはじめたのは2011年の9月です。その7年くらい前から 農業はやっていました。高校を卒業して就職して、名古屋、大阪と転々として、滋賀の実家に戻って来たのは26歳のときです。実家は父親の代から農業をやっていて、僕は二代目になるのですが、いろいろと個人的な事情があり実家に戻ってからしばらくはハローワークで仕事を探していました。幼い頃から農業に対してあまりよいイメージを持っていなかったので、農業をやる気はありませんでしたね。

立見さんの持っていた農業のイメージってどういうものでしたか。
毎日たいへんそうな父親を見ているのが子供心に辛かったですね。それと、僕の行っていた中学校には同級生が180人いたのですが、家業として農業をしている家は僕の他にもう一人くらいしかいませんでした。そういう環境で、たまに父親の職業を聞かれたときに農家だということを伝えると「あー、たいへんやねぇ」と言われたりもして、農業は「たいへんなもの」「しんどいもの」「たのしくないもの」ということとして擦り込まれていきました。

農業をはじめるきっかけになったのは何ですか。
ある時、そのもう一人の農家だった同級生が、どうやら農家を継いだらしいという話を人づてで耳にしたんです。その話を聞いて若い人でも農業をやっている人がいることを知り、背中を押された気持ちになりました。僕は実家にいながらもやりたいことがない状態だったので「よし、自分もやるか」と決心して父親に相談しました。幼いころから父親には「農業は継がなくていい」と言われていたのですが「わかった」と言ってくれました。経営者名も僕名義となり、代を譲り受けました。

実際に農業をはじめてみていかがでしたか。
やっぱり幼いころに植え付けられた暗いイメージもあって、自分のしている農業に対する自信はなかったですね。食べていくために仕方なくやっている、やるしかないという思いでやっていたので、胸を張って農家だとはなかなか言えない状態でした。トラクターに乗っている時でさえ、友だちに見られていないかが気になるのでコソコソしていました(笑)。目立たないようにしていましたね。

そんな中、みたて農園をはじめることにしたのはなぜですか。
一番のきっかけは写真家のMOTOKOさんからのひと言があったからです。MOTOKOさんとは、MOTOKOさんが滋賀県の若手農家の取り組みを写真に収めている時期にはじめてお会いしました(田園ドリームプロジェクト)。そのころ僕は湖北ニューファーマーズ(現在の通称はコネファ)という団体の会長をしていたので密に連絡を取っていました。業務的なこと以外にもたくさんいろいろなことをお話をしました。MOTOKOさんは農家も農業も格好よく素晴らしいものだと考えておられたのですが、僕のようにネガティブな考えで農業に勤しむ人がいるということもよく理解されていました。農家っていうのは世間では格好悪いイメージがあるけれども、だからこそ身なりやメール、言葉遣いをきちんと丁寧にすること。それが世間の農家に対する印象を変えるには大切なことなんだよと、全く考えもしなかったことも助言していただきました。ある時、銀座のアップルストアで同じ滋賀で活動する家倉くん(家倉敬和さん)と 石津くん(石津大輔さん)が出演するトークイベントがあって、それを観に行った日の夜にMOTOKOさんと呑む機会があり長い時間お話をしたのですが、その席で「あなたは自分が格好悪いことを農業のせいにしているけど、そうじゃなくて、何もかも農業のせいにして何も努力をしないあなた自身が格好悪いだけだよ」って言われたんですよ。そんなこと言う人は周りにいなかったですから、ハッとして。なるほど、とそのとき思いました。そういわれてみれば、そうだなと。確かになにもかも農業のせいにしてましたから。じゃあ、格好いい男になってやろうとその時にスイッチが入りました。MOTOKOさんに出会っていなかったら、今、僕は相変わらずなにもしていなかったかもしれません。180度変わりましたね、人生観が。すごくありがたいひと言でした。

そういった頃にgrafにデザインの相談をしてくださったんですね。
そうですね。でもなにかをはじめようにもwebも無いし、農園の名前も無く、個人の名刺も、なにもかも無い状態でした。こんな状況で引き受けていただけるかはわからないけど一度聞いてみようと思って相談をさせていただきました。僕はうまく話すのは苦手ですし、あまりハッキリと方向性なども定められないので、服部さん(服部滋樹)や横山さんに何度も話を聞いていただきながら、進むべき道も教えていただいたという感じでした。

デザイナーとのやり取りは立見さんにとってはじめてのことだったと思うのですが、実際にお仕事をしてみていかがでしたか?
全く違う発想をされるんだなって思いましたね。お米というもののイメージだけでロゴやコンセプトをつくるのではなくて、実際にここにも足を運んでいただきましたし。地域のことや環境のことをすごくいろいろと調べていただいて、気にもしていなかった自分にとって身近なことをむしろ僕に教えていただいたこともありました。農園の名前についての案もお願いしていたのですが、横山さんから最初「みたて農園でいこう」って提案されたときには「へっ?みたて?」って(笑)。僕、立見だし「みたて」って名前だとややこしくないかな?って思ったんですけど「湖北で育まれたものを提案する(見立てる)、おもてなしの心を込めている」という意味を説明してくださって納得しました。そんな深い意味があったのか、と。

これがつくっていただいたロゴマークなんですが、雨が降って、川を流れ、田んぼを流れ、琵琶湖に流れ、蒸発して雨が降り注いでという湖北の豊富な水の循環のなかでお米ができてい ることを表現していただいたものです。ここでは琵琶湖を取り巻く水の循環の中でお米ができているわけですけど、それとともにお米を取り巻く人の繋がり、コミュニケーションも大切にしているところを込めたデザインだという説明もいただいて「なるほど、実践しなければ!」って思いました(笑)。横山さんとはいろいろ深いお話をしましたが、そういったことがさりげなく随所にデザインの要素となっているのはうれしいです。うちの商品にある「てんおう米」という名前も、近所の湧き水について調べた横山さんがこの地域に伝わる民話を見つけてくれたことがきっかけになっています。

みたて農園がはじまってから以前とは何か変わりましたか。
お客さんにお米を買っていただいたり農業体験に来ていただいたりして、人が行き来するようになったことで、農園自体の風通しがよくなったと思います。野菜でもなんでも、風通しが悪くなっていくと腐っていくように、これまでの7年間、僕は腐っていたと思うんですよ(笑)。でもそこに人の流れが出来たことで元気をもらっていると感じています。農産物以前に、先ず、つくる人が健全なのかということが僕には重要なことなので、以前と比べたら自分の暮らし方に納得しながらつくったものをお客さまに届けられるようになりました。農家は孤独な作業が多いので、自問自答をしてしまったり行き詰まってくることが多いです。そうならないためにも、なるべく時間が空けば人に会いに行くようにしていますし、来ていただけるのであれば喜んでお会いしたいと思っています。農家だからと言って農業のことだけしか知らないのも勿体ないですし、grafさんと出会うまではデザイン自体に関心を持ったこともありませんでした。いろんな業種の人と関わることが増えてきてよかったと思います。何も知らなかったら薄っぺらい人間になっていたような気がしますね。

立見さんが目指しているものってなんですか。
僕は、日本一うまい米をつくることに必死になって周りが見えなくなってしまうよりも、もっと楽しみながらお米をつくりたいなと考えています。楽しく生きている人間からつくられたお米を皆さんに食べていただきたいです。コネファの活動としても、個人としてもそうですが、田んぼから離れ、出て行った先々で開かれたイベントに人が集まってくれると、自分の職業である農業が評価されているなと実感します。自分たちの仕事を通じてこれだけの人たちに楽しんでもらえていることが、何よりのモチベーションになります。当たり前ですけど、お米を食べてくれた人から「おいしかったよ」って言ってもらえたら、あの人が食べてくれるんだったら頑張ろうって思いますし。こういったことも「風通しがよくなる」ということに通じるものがありますが、人に会うってことは本当にすごく大事ですね。まあ、でもこれからですね。

素敵な話を聞くことが出来てうれしいです。
とんでもないです。こちらこそ、ありがとうございました。

立見茂(たてみしげる)
米農家。滋賀県湖北の地で育まれたモノ・コト・ヒトをお見立てしたいという想いを込めて「みたて農園」と名付け、山々に囲まれた湖北が誇る豊かな水源のメグミをいただき、農薬・化学肥料の使用を最小限におさえたお米作りを実践中。
http://www.mitate-nouen.jp/